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尾野坂鐡道×楠原鉄道経営統合10周年、尾野坂本線開業100周年

​記念ページ

 おのてつグループがスタートして10年。

 州営尾野坂線開業から100年。

​ 祇州の中核企業として、今後も祇州の発展に寄与するとともに、便利で快適な移動環境を整えて参ります。

​ ここでは、おのてつグループを振り返りたいと思います。

​※このページは2020年以降も随時更新します。また、機会を見て記念サイトから常設のサイトへタイトルを変える予定です。

​州営尾野坂線から現在に至るまでの簡単な流れ

 祇州に鉄道が開通したのは1919年よりも前ですが、祇州が運営母体となる州営尾野坂線が開業したのは1919年4月。

 海洋都市加和崎から五木野までを結ぶ貨物と旅客の両方を担う路線として開通しました。その後、財政難から1924年に発電・送電事業を担う半官半民の尾野坂電氣へその事業が移されました。これが民間への移譲となります。

​ 尾野坂電氣は鉄道事業の経営状態が良好であることから鉄道事業とその関連事業に事業主体を絞り、尾野坂鐡道株式会社として現在に至るまで発展を続けてきました。

​尾野坂鐡道と楠原鉄道の経営統合

 1983年、尾野坂鐡道は龍胆湖線の延伸工事をスタートしました。これは、祇州政府が祇州の南北を鉄道でつなぐために祇州政府地理交通省主導のもと祇州がその大部分を出資する形でスタートした計画であり、3年前の1980年より楠原鉄道も川郷線の敷設工事にとりかかっていました。

 しかし、祇州の南北間に存在する龍胆湖周辺の自然に鉄道を通すことは容易ではなくその工事は2008年にようやく完了しました。そして、尾野坂鐡道龍胆湖線と楠原鉄道川郷線は直通運転を開始することとなりました。

 直通運転から時をさかのぼること2005年、直通運転を目前にして祇州政府は鉄道事業に関して大手二社を統合することで経営合理化を図る方が安定した交通事情を保てると考え両社にその打診をしました。

 当時尾野坂鐡道グループの方が経営状態が良好であり企業体としても大きいことから、楠原鉄道がそこに統合される形で経営統合をする計画が浮上しました。楠原鉄道社長は祇州政府の計画には応じるものの楠原鉄道を消失させることをせずにいる形をとれないかと尾野坂鐡道側と検討を続け、その名をなくすことなく「尾野坂鐡道×楠原鉄道」として経営統合をしたのが2009年でした。なお、楠原鉄道は現在「尾野坂鐡道株式会社楠原鉄道事業統括部」として尾野坂鐡道事業統括部と協力しつつ事業を継続しています。 

​おのてつの経営体制

 2009年より経営統合して新たな「おのてつグループ」としてスタートしたわけですが、2社の鉄道会社が名前を変えずに1社の中に存在しているとはどういうことなのでしょうか。以下に簡単に組織図をまとめました。


 

【尾野坂鐡道株式会社】

 ┣社長室

  ┣広報部

  ┗監査部

​   (ほか)

[尾野坂鐡道事業統括部]

 ┣戦略事業本部

 ┃┣経営戦略部

 ┃┣グループ戦略部

 ┃┣経理部

 ┃┣総務部

 ┃┣法務部

 ┃┗人事部

 ┃  (ほか)

 ┣鉄道事業本部

 ┃┣鉄道営業部

 ┃┣鉄道運輸部

 ┃┣工務部

 ┃┗電気部

 ┃  (ほか)

 ┣開発事業本部

 ┃┣開発企画部

 ┃┣プロジェクト推進部

 ┃┗開発管理部

 ┃   (ほか)

 ┣国際事業本部

 ┃┣日本国事業推進計画部

 ┃┣事業計画部

 ┗(ほか)

[楠原鉄道事業統括部]

 ┣戦略事業本部

 ┃┣経営管理部

 ┃┣グループ事業部

 ┃┣財務部

 ┃┗人事総務部

 ┃  (ほか)

 ┣鉄道事業本部

 ┃┣営業部

 ┃┣運転部

 ┃┣工務部

 ┃┗電気車両部

 ┃  (ほか)

 ┣沿線都市開発本部

 ┃┣企画部

 ┃┗計画管理部

 ┃   (ほか)

 ┣統括事業本部

 ┃┣IT事業推進部

 ┃┣法務部

 ┗(ほか)

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